初めてのハマスタ観戦は1984年、小学3年生の時、父に連れられて行きました。野球が面白いと思った当時、クラスで友の会の存在を知り、1985年から入り、観戦が増えました。豊、博一、屋鋪のスーパーカーに熱くなった。デーゲームでもヤクルト戦は空いていた。4年生の時だったけど虎フィーバーの年、自分のクラスは大洋ファンが多く、隣のクラスは虎ファンが幅を効かせていて廊下で応援合戦を良くやった。
運動神経は鈍かったのもあり、少年野球はやめたけど、仲間と3,4人で野球遊びをしたりしながら観戦は続けて・・・母手作りのハッピきて、子供の頃は外野で騒いでいた。
確か巨人戦だったけど監督猛抗議のあと、8回裏にポンセの逆転弾。あの試合は痛烈に残っています。
高校の部活にはいると先輩やOBも大洋ファン。一緒に田代さんの引退試合、ダブルヘッダーの阪神戦に行き、2試合目の田代さんの満塁弾にみんなで泣いた。
大洋がなくなる年、ファン感謝デーのスタンドで球団名ベイスターズと球団歌のお披露目。記憶が正しければそれが最初の発表だったと思うけど定かではありませんが・・・
97年のメガホン投げ込みで悲しい思いをしてから98の優勝。あの年は大洋系のホームページの掲示板で盛り上がり、その仲間とセリーグ制覇後ハマスタでオフ会をして、朝まで横浜公園で飲み明かした。その仲間とは学校も仕事も被ることはありませんでしたが今でも大切な飲み友達でたまに飲んだり、野球見に行ったりです。湘南カラーの松原先生ユニTシャツを作ったのも良い思い出。
個人的にはビールの売り子さんからまるはの竹輪を買って飲みながら観たいです。少年ファンはただの野球好き呑兵衛になりました。
そして、今の職場にも野球好きが多く、試合を一緒に観るのはチケットをまとめて買うとき位ですが、みんなバラバラの席で試合を観てから飲みに行ったりしています。いろんな繋がりをくれる大洋ホエールズ、ベイスターズに感謝です。

ハマスタの歓声が手に取るようにわかるほどの場所に住んでいた頃…
今の主人と結婚。
野球にまったく興味がなかった彼に
「ビアガーデンだと思って行こうよ」とハマスタへ連れ出し、
当時ガラガラだった内野席一列貸切状態で観戦。
そんなことを何度か繰り返してたある日…途中からスコールのような雨が降ってきて、他の観客はコンコースに避難する中、2人で一本の傘をさしスタンドの作業を見守っていた。
球場には「私を野球に連れて行って」が流れ、雨の勢いで視界が霞む中、
彼のひとこと。
「野球場っていいな」……

あれから15年…今ではすっかりベイスターズファンの彼。
あの日あの時、ハマスタがなかったら…暗黒時代と言われながらも懸命にプレーするベイスターズ選手がいなかったら…今の私たちもいなかったかもしれないと4月2日の結婚記念日を前にしみじみ思う。
ありがとう、ハマスタ!!
ありがとう、ベイスターズ!!
これからもずっと横浜!!
I LOVE YOKOHAMA☆

「ベイスターズとの思い出」
生まれてこのかた、嬉し泣きというものをしたことがなかった僕が、
生まれて初めて嬉しくて涙を流したのは、98年のリーグ優勝の瞬間でした。
佐々木、谷繁のバッテリーが抱き合うのを見ながら、自然と涙が溢れました。
それから約20年、二度目の嬉し泣きをしたのも、またベイスターズを見ながらでした。
場所は東京ドーム。ベイスターズがCSファーストステージを初めて突破した時、
その年に引退したハマの番長三浦大輔が、本当に嬉しそうに笑いながらベンチからファンの待つスタンドに向かうのを見たとき、
僕らファンは番長が常々、「もう一度優勝したい」と話すのを聞いていたので、
それも相まって、本当によかったなあと思って、涙が止まりませんでした。
結局その年は日本シリーズには行けなかったけれど、
今はコーチとなった番長が、今年こそ選手たちと一緒に日本一になってほしいと、心から応援するのみです。

8年前に亡くなった叔父が大洋ホエールズを応援していたのをきっかけに、1980年初めの小学生の頃からチームを応援していました!スーパーカートリオの3選手達、ポンセ選手、パチョレック選手、遠藤投手、斎藤投手、他球団と違った硬派な選手とチームの雰囲気が格好良く、女子高生の時には横浜高島屋の友の会への入会の申し込みに勇気を出して行った事もありました!1998年優勝当時の選手達はほぼ同世代の方が多く、今の横浜DeNAベイスターズの選手達は、娘や息子と年の近い選手ばかりとなりました。幾つになってもドキドキ夢と感動を与えてくれるチームに感謝の気持ちでいっぱいです‼️

もともと横浜市民でしたが、親の転勤で地方都市や、同じ神奈川でも川崎で生活していたこともあって最初は大洋ホエールズという球団がさほど身近ではありませんでした。しかし高校の途中で横浜市民に復帰し、TVKで大洋の試合を見る頻度が高くなったことで大洋をものすごく意識するようになりました。また、横浜スタジアムにも行くようになって「俺だって横浜市民。この街の人たちと球団の感情を共有したい!」と強く思うようになり、「いつかは大洋に」と。そして93年、ベイスターズ元年…友人のススメ…色々考えた挙句、「このチームのファンをやるなら今だ!」ということでその時からベイスターズのファンになりました。
もっとも、ベイスターズのファンをやるにはものすごく覚悟をしました。やるからには末永くこのチームのファンをやりたい、何があってもこのチームをメインにこれからプロ野球を見るんだ!と強く決心しました。ただ…あの時点で優勝は諦めました(苦笑)
やはりというか…ベイスターズは元年開幕から連敗続き…
そんな中でも「ベイスターズになってからは何もかも受け入れるんだ」という気持ちでしたから何も抵抗はありませんでした。
でも、その後チームは意外?とも言える成長を見せ、98年に優勝!
まさか…あれだけ最悪のスタートを切ったチームチームがわずか6年で優勝するなんて…
けれどそれ以上に嬉しかったのはそんな自分を地元のベイスターズファンがみんな受け入れてくれたことでした。今でこそ地元のベイスターズファンの友人も多い自分ですが、当時は横浜に住んでいながら出身高校や大学、職場と横浜とはあまり縁のないところばかりだったせいか地元の友達が少ない…ベイスターズファンとしてのキャリアも浅い…
けれど、あの日本一を決めた夜、夜中の3時まで地元のファンとだきあって、応援歌を歌い合って…もう誰彼問わず仲良くなって…
地元チームの優勝がこんなに嬉しいなんて…と本当に感動しました。
その後もチームは浮き沈みを繰り返しましたが、それでも自分がスタジアムに行くと結構いい試合を見せてくれました。スタンドでは99年、0-8から13-9で逆転勝ちを収めた試合が忘れられません。この日は開幕から連敗し、球場到着時には「この日もダメか…」という雰囲気。それが逆転でのそのシーズン初勝利だったので本当に忘れられなくなりました。
これ以外でもこのチームに喜ばせてもらったことは何回もありました。
今は立場上ニュートラルに野球を見なければいけないときが多いのですが、一人の野球ファンに戻ったときはやはりベイスターズ。この球団にこれだけ楽しませてもらいましたし、今はもう、1ファンとしてはこの球団以外のファンになることはもはや考えられません。本当にこの球団のファンになって良かったと思っております。そして、この球団が地元のチームであることに誇りを持っています。

小学校1年生の時、巨人しか知らなかった私でしたが、広島初優勝で母親から赤い帽子を被らされました。そんなある日、横浜の磯子、浜マーケットの衣料品店にオレンジと緑の「お洒落」なユニフォームをモチーフにしたタンクトップのシャツを見つけた私は、一目惚れして祖母にねだって買ってもらいました。背番号は25。そう、それはホエールズの主砲、ミサイル打線の要、松原誠選手のシャツでした。それからは、周りに黒や赤、黄色&黒に囲まれながらも、必死にホエールズを応援しました。やがて、わが町横浜にホエールズがやってきました。何かのイベントで当たりくじを引き、そこでもらったのも松原誠選手のサインボールでした。それからホエールズはベイスターズに名を変えて今日に至りますが、私も44年間、一筋に応援を続けてきました。シャツは何処かにいってしまったけれど、サインボールは実家の棚の上に今でも大切に飾ってあります。

1979年4月、大学進学で世田谷の南の端に住み始め、TVKで大洋ホールズの試合を観るようになり、いつのまにかファンになっていました。♪いくぞ!大洋!いくぞ!大洋!勝利の世界GO、GO、GO! が心の応援歌でした。九州出身ということもあり、パリーグはライオンズを応援していました。(98年に日本シリーズで対戦するとは、思ってもいませんでした)
本当にたまにしかハマスタへ行けませんでしたが、社会人になってからは、神宮で年に数回ビール片手に応援してました。以前は、当日行ける時に球場へ行ってましたが、ここ数年、チケットが買えない事が多く、残念ですがうれしく思っています。
実は、プロ野球は好きではありますが、ご贔屓の球団を積極的に話した事はあまりありませんし、成績が悪く、最下位に低迷しても某球団のファンみたいに大きな声を上げる事はありませんでした。GWまで妙に好調な年は決まって「XX年振りの優勝か?」というお約束の記事が書かれましたが、そのXX年は僕の年齢と同じだったりしました。つまり僕は1960年の生まれで、大洋ホエールズが日本一になった年に生まれていたのです。それは、98年まで続きましたが、本当に98年は、夢のような年でした。前年に2位という成績でしたが、優勝は遠いイメージでした。(という性格になっていたんだと思います。)
98年は、一挙にベイファンの友人が増えました。その後の低迷時代も平常心で応援しています。60周年の時のベーマガの一文「だって、ベイスターズは家族。そしてベイスターズは、自分自身だから」に尽きるように思います。自分の人生に山あり谷あり(谷が多過ぎですが)ベイスターズがあるのです。

今から35年ぐらい前、小学生だった私はテレビで見たジャイアンツの原辰徳選手(当時)のファンになり、父親にお願いして初めてハマスタのレフトスタンドに連れて行ってもらいました。オレンジのメガホンを買ってもらい、試合はジャイアンツが圧勝したと記憶してますが、大洋という相手チームの白と紺のユニフォームが子供心にシンプルで格好良く映り、だんだんとジャイアンツよりホエールズが気になるようになりました。それから父親に「ジャイアンツのメガホンせっかく買ってもらったけど、これからはホエールズ応援したいんだ」と告げて、またハマスタに連れていってもらいました。今度はライトスタンドです。オレンジのメガホンは父親が紺色のビニールテープぐるぐる巻きにして、大洋のメガホンになりました(笑)。それから今の今までずっと筋金入りのホエールズ/ベイスターズファンです。辛いことも多かったけど(笑)、勝つときは本当に勇ましく勝つから、ファンをやめられません。1998年と2017年の日本シリーズはハマスタでそれぞれ2試合観戦しましたが、45年生きてて日本シリーズ2回は寂しいです(笑)。ただ、これからのベイスターズは強くなる、Aクラスの常連になる予感がしますし、そうなると信じてます。今シーズン、日本シリーズ行きましょう!

生まれも育ちも福岡です。小学生の頃、私の町で行われた当時の地元チーム、太平洋クラブライオンズの選手、OBによる野球教室に参加しました。ずっと楽しみにしていたのですが当日はあいにくの雨。野球教室は当然中止。ガッカリしていると急遽近所の公民館を借りきってライオンズの主力選手だった基満男選手がサイン会&素振り教室を行ってくれることになりました。そこで私は下手くそな私に手取り足取りバットの振り方を教えてくれた基選手の虜になってしまいました。その基選手が横浜大洋ホエールズに移籍し、ホエールズでの活躍を応援しているうちに基選手だけでなくホエールズの選手全員を好きになってしまいました。それ以来、40年近くベイスターズになってもずっと楽しく応援しています。今でもホエールズ・ベイスターズの一員となったつもりで草野球をやっています。頑張れ!ベイスターズ!

小学生の時、東京ドームに親父に連れられて行った試合が巨人対大洋。当時自営業をやっていた親父が、取引先からチケットをいただき、俺を連れて行ってくれました。
福島県いわき市から東京ドームに行けるなんてまさに夢のような世界で、当時は学校で俺の周りも皆巨人ファンで一塁側の1番前のシートでワクワクしてました。
しかし、晩年とはいえスーパーカートリオに心奪われ、ユニフォームがカッコよく見えて、あれだけ巨人が好きだったくせに、その日からすっかり大洋ファンになり、東京ドームから帰る際、親父に好きな物1つ買ってあげるよと言われた俺は、「W」の帽子を手に取り、親父に嘘だろ?ってびっくりされ、次の日クラスの皆にも大洋ファンになったと言うと、バカにされました(笑)
そんな俺も子供を持ち、今では息子と毎年ゴールデンウィークにハマスタに行くのを楽しみに頑張ってます。息子は、当然ベイスターズファンです😊
これからもずーっと横浜ベイスターズと共に人生を楽しんで行きます(*'▽'*)♪
今年こそ優勝しましょう〜٩(ˊᗜˋ*)و

転職の為、93年に名古屋から横浜に移住し。
98年、ちょうど退職したのを機に「今年は絶対ベイスが優勝する!♪✌️🏆✨」と言う確信が何故か?wwあり、浜スタでバイトを始めました。
98年のあの熱狂の中には、何故か従業員として参加してましたが、今も忘れる事はありません。
それからチームは黎明期に入りましたが、バイトは9年続け、いつでも生暖かく見守っていました( ;∀;)✨。
似顔絵コンテストで表彰された事もあったっけ♪(*^^*)。
果てしなく遠い存在だった当時の選手達が、今はSNSを通じてトークイベント等で会えたり、コメント頂いたりして(*^^*)✨。
夢は叶うんですねぇ♪(^^)v✨✨

昭和50年、小学2年生のとき野球帽が流行りました。
私も野球帽が欲しくなり、近くの衣料品店に行きました。
まだその時は、野球というものは良く分からず、ましてやプロ野球チームなども良く知らず、手にした緑とオレンジの野球帽が私の大洋ファンの始まりでした。
家に帰り、親に大洋のことを聞くと万年最下位の弱小チームということを知らされました。
それでも、その帽子をかぶって学校に行くと、黒や青の帽子をかぶっている友人から笑われ、からかわれました。
それでも、せっかく買ってもらった帽子なのでかぶり続けました。

横浜大洋になって、帽子の色が紺色に変わりましたがそれでも、やはり弱小とからかわれていました。

時は過ぎ、それから20年後の1998年、ついに優勝マジック1の日がきました。

甲子園球場のため、応援に行くことができません。
しかも残業で、テレビも観ることができません。
試合結果が気になり、ソワソワしてました。
20時過ぎた頃、たまらず上司に明日朝早く来てやりますと言って仕事を切り上げ、そしてそのまま近くのラーメン屋に入り、試合中継をTVで観ました。

丁度、進藤選手のタイムリーで逆転した場面でした。
嬉しくて、置かれたラーメンを食べずにずっと見入ってしまいました。

最終回、大魔神佐々木投手が出てきて
新庄選手を三振にとり、ついに優勝しました。
その時は、ついに優勝したのかと思うだけで、権藤監督の胴上げを観てラーメン屋を出ました。

ラーメン屋から駅までの細い暗い路地を歩いていると、急に涙が溢れてきました。

優勝したのが嬉しかったのか、ずっとからかわれていたのがついに払拭できたからなのか、どちらだったのか分かりませんが、本当に清々しい気持ちで歩いていたことを今でも忘れません。

あれからまた20年経ち、今では、当たり前のように青い帽子をかぶっている小学生が沢山いて本当に素晴らしいチームになったと思います。

70周年記念ということで、また色々盛り上がるでしょう。

スペシャルユニフォームも作られ応援側の準備は整いました。
あとは、再びあの優勝を味わうだけです。

水産関係の商社に勤めていた父。下関時代の大洋ホエールズの話しもよく聞きました。まだプロ野球よりも六大学野球が全盛の頃に明治大学で知り合ったのが後の大洋ホエールズの監督、秋山登さん。阪神タイガースなどでコーチなどを歴任した土井淳さん。お二人は大洋ホエールズが初めて日本シリーズで優勝した時のバッテリーだと聞いています。
私の世代はとにかく男の子は野球!の世代でした。ご多聞にもれず、地域のリトルリーグに入団した私に当時の大洋ホエールズのチーム大勢のサインが入った一枚の色紙を父がくれました。仕事が忙しく、単身赴任で世界中飛び回っていて、親らしいこともできなかった償いだったのかなって今では思います。調子に乗った私は「王選手と長嶋選手のサインが欲しい!」とねだりました。
そんなわがままを言ったことすら忘れた頃に父が1つの硬式球をくれました。王選手と長嶋選手が1つのボールにサインしたものでした。後に選手の集まりの時に秋山さんがもらってくれたいうことを知りました。
数十年後お礼も言えないまま秋山さんがお亡くなりになりました。そして数年後に父も‥。
今でもそのサインボールと色紙を見るとなんとも言えない気分になります。ずっと補欠だった自分の事や家庭のこと。
息子が育って現在高校球児です。父がまだ生きていればとっても喜んでくれたんだろうなぁと試合を見に行くたびに思います。

下関出身の父がホエールズの大ファンで、その影響で生まれも育ちも兵庫ですが、子供の頃からホエールズ、ベイスターズファンです。
当時は野球中継が巨人戦と阪神戦しかなくて、中継がある日はいつもウキウキしていたものです。そして家族でハマスタや甲子園にもよく観戦に行っていました。
父からは、下関時代の林兼商店から始まった事や1960年の初優勝日本一の話、名将三原監督や秋山投手や近藤選手の話など色々と教えてもらいました。
父は、毎年この時期になると中継を観ながら、「今年は優勝するぞ!」「死ぬまでにもう一度優勝が見たい」とよく言っておりました。
その父が他界したのは95年、ベイスターズが優勝したのが98年。
甲子園の優勝を決めた試合をテレビで観ていた私は、そんな父の言葉を思い出し、後3年長生きしていればもう一度優勝が見れたのにと思い、優勝の嬉しさと共に悲しさも溢れ、泣いてしまった事を思い出します。
「死ぬまでにもう一度優勝が見たい。」
今、当時の父と同じ思いでいる自分がいます。

ベイスターズとの思い出…いろいろとありますが、オールスターゲーム観戦後の出来事が今だに思い出します。

確か1997年7月24日に神宮球場で開催されたオールスターゲームを観に行きました。確かセリーグが勝ったはずです。その帰り道、神奈川県在住の私は、渋谷で乗り換える為、当時は地上にあった東横線のホームに友人らと始発電車に乗る為、整列乗車の列に並びました。3列に並ぶのですが、先に外国人の方が2名いらっしゃいました。最初は雑談しながら並んでいたのですが、友人の1人が何かを感じたのか、その外国人に声を掛けました。

ローズ?
ハァイ!

何とさっきまでオールスターゲームに出場していたロバートローズ選手だったのです!

まさかローズが電車に並んで乗るなんて思いもよらなかったので、とてもビックリしました。

同じ電車に乗り込み、横浜まで共に移動しました。さすがに他のお客さんもいたので、会話を交わすことはなかったですが、横浜で降りる際に握手してもらったり、再度声を掛けてもらったりと、親切な対応をしてもらいました。でも今思えば、サインの1つでも貰っておけばと思いますが、ベイスターズに関わる良い思い出な1つですね。

山形生まれなんですが、三歳くらいから毎年夏休みに横浜の叔母の家に遊びに行っていました。

京浜東北線の車窓から見えた横浜スタジアムの姿、雄大さ・カッコよさに一目で心を奪われ、幼いながらに「大好きなおばちゃんの近くのほえーるずを応援しなきゃ!」とファンになり、山形でWのキャップを身につける日々でした。

しかし、当時、山形の小学生が得られる情報は限られていて、選手の名前もよく知らないままに、ただただ頑張れホエールズ、ベイスターズの日々。

ナイター中継の途中経過・翌日のスポーツニュースで一喜一憂していたのを思い出します。月に何度かあるジャイアンツとのナイター中継は数少ない姿を見れる機会、心踊りましたね✨

これからも、ずーーーっとベイスターズを応援し続けます☺️

亡くなった父が初優勝もリアルタイムで見ている筋金入りの大洋ファンで、その背中を見て育った自分は高校時代からファンに。98年の優勝パレードには家族で当時住んでいた愛知から駆けつけました。その際「生きてるうちにもう一度優勝が見れるとは」と父が感慨深く洩らしたことが思い出されます。
あれから20年たち、ふたたびマルハさんとのコラボ復活、亡き父が知ったらさぞや喜んだだろうと思っています。これからも父のように熱烈ベイスターズファンであり続けたいと思います。

ホエールズ時代から亡くなった祖父と一緒に観戦に行ってました。
勝っても負けてしまっても、祖父はいつも一緒に試合を楽しんでいました。
今は結婚して家族が増え、子供達と観戦するのが楽しみになりました。
主人も子供達もいつも一生懸命声を上げて応援してます。
そんな時、ふと寡黙でも真剣に観戦していた祖父の姿を思い出します。
先日、末っ子が祖父の写真に話しかけていて、もしも祖父が子供達と会えていたら一緒に観戦したかっただろうと思いました。
日本一になった瞬間を見届けた祖父はそれから数年して亡くなってしまいましたが、きっと今でも私達の側にいてくれて一緒に観戦してるだろうなと事あるごとに感じます。
選手の皆さん、チーム、スタッフの皆さん、いつも夢と感動をありがとうございます。

次男の初観戦は子供招待でした。
長男長女と違って興味を示していなかったので最後まで観戦できるか心配でしたが、トイレにたった際に通路を転がり落ちてきたファールボールを拾って戻ってきて、それまで退屈そうにしていたのが一転最後まで観戦して帰ってくることができました。
その日を境に興味を持ち、球場観戦したいとファンクラブへの入会もせがまれ今に至ります。
元々高校球児だった主人と、甲子園に行きたいとの理由で高校受験の志望校を決めた私の息子だけあって、はまるとガッツリ。
野球観戦が家族の共通の趣味となり、ベイスターズのおかげで更に家族仲が良くなりました。

ベイスターズの思い出はやっぱり98年優勝、日本一パレードです!
小学生ながら桜木町から関内まで歩いて着いて行ってた記憶がうっすら残ってます。あれから20年以上経ってしまいましたが、また日本一になった横浜ベイスターズのパレードに参加できる日を楽しみにしています

一時期はガラガラだったスタンドも今や沢山のファンが詰めかけ、チケットが取りづらい人気球団となりましたが、これからもI☆YOKOHAMAで応援して行きます

野球ファンですが巨人だけど野球はお父さんのえいきょうで大好きです

新入社員のころ、当時の支社長と一緒に何度か横浜スタジアムで観戦しました。ボックスシートで見ているのに、支社長が佐々木主浩投手に「だいまじん~!!」と叫んでいるのが恥ずかしくて、他人のようにふるまいながら、佐々木さん、ごめんなさいと思いながら隣でシウマイ弁当を食べました。

横浜大洋ホエールズが横浜ベイスターズになると発表された時、新しいユニフォーム、チームへのワクワク感とホエールズがなくなってしまう喪失感。どちらもありました。
そして98年の優勝、日本一、私の人生では一度だけの経験ですが今でも忘れません!
あれから20年過ぎ、マルハさんがマルハニチロさんとして戻ってきてくれた今年こそ再びの優勝、日本一を期待してしまいます!

ハマスタでマルハの魚肉ソーセージ売って下さい!!

ベイスターズを応援し始めて11年、今こうして力をつけて活気あるチームに育ってくれた事をとても嬉しく思います。
ハマスタで観戦すると勝っても負けても楽しいんですよね。これからも一生ベイスターズしますっ!!W

ベイスターズがあったから、結婚もしてたくさんの仲間もできました!
これからも

一生、I★YOKOHAMAします!

さんまの蒲焼はよく食べてます

98年のリーグ優勝の瞬間は甲子園のレフトスタンドから見てました

横浜行ったらベイスターズ!移動するので茨城にいきますね

祖父がファンだったので祖父のお家に泊まりに行くといつもテレビの前で応援してました!

パチョレック選手のホームランが忘れられません。

子供の頃、よく父と観戦に行きました。その頃はスタジアムって言ってましたね。いつも8回裏になると帰路につく父。道が混むのが嫌いだったようです😅
現在は私が娘をつれて応援に行っています。今はハマスタって言ってますね。父とは違って最後まで観てます☆

ベイスターズおよびホエールズの思い出…
いっぱいありますな。

遠藤・斎藤のWエース。
中塚の好プレー。長崎・高木嘉一のヒットメーカーぶり。
85年のスーパーカートリオ発足。
87年の新浦・永射・片平晋作加入。
それで勝てなくても応援しがいがあったホエールズ時代…

ベイ発足年にヤクルトにボロ負けしながら、
借りを少しずつ少しずつ返しにいって、
98年に優勝・日本一になってファンを歓喜の渦に巻き込んだ、あの頃…

マルハさんがベイスターズを手放してからの、地獄の日々。
TBSに面白いように掻き回され、
讀賣巨人軍からの回し者Oにとどめを刺されかけた、あの頃…

DeNAに全てを託された後の、復活の日々…
何もかもが、良い思い出です。

これからも私は、ベイスターズと共に闘っていきます。
ご清聴ありがとうございましたm(__)m

子どもが好きで見ています(*´▽`*)活気・勢いがあって素晴らしいチームですね♬祖母が好きで一緒によく見ていたのでそのい時の記憶がよみがえり、息子達と見ている時は懐かしいです。

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大洋ホエールズ時代からのファンです☆ 子どもの頃、父と弟と試合を見に行き声をからして応援していました(#^^#)

1998年
セリーグ優勝は甲子園で決定
京都在住の私にとっては、滅多に無いチャンスが到来しました。
行く気満々で居た私に試練が…その日に窯を焚くようにと上から指令が(T-T)
泣く泣く甲子園に行かずテレビ観戦しました
優勝決定の瞬間、感動のあまり家で号泣
めちゃくちゃ嬉しかったです!
ただ、一緒に行く予定だった友人が、波留選手の投げ込んだリストバンドを手に入れたと聞き、悔しい思いでいっぱいになりました。
それから19年
雨の甲子園も経験。筒香選手の気迫に感動。広島を破ったzoom zoomスタジアムの試合も現地で観戦。広島ファンが途中からゾロゾロと帰路につくのを見て、溜飲の下がる思いでした。
その後、ハマスタでの日本シリーズも行かせてもらいましたが、6戦目は仕事の為に京都に。
7戦目のチケットと宿は予約済みだったので、9回に1点リードでヤスアキ選手。テレビ見ながら、気持ちは完全に博多に向かっておりました。誰のグッズ手に入れようかと、取らぬ狸の皮算用までして(笑)
ところが…OBの内川選手に1発を浴び、結局はサヨナラ負け。日本一もヤフオクドームでの野球観戦もグッズを手に入れるのもお預けに…
まだまだ早いなと、内川選手に言われた気分でした。
今年こそは、3位ではなくセリーグ制覇して日本一になり、感動を皆に与えて下さい^ ^
頑張れベイスターズ!

横浜ファンになり早40年近く経とうとしてます。私が小学生の頃は本当に周り近所に横浜ファンはいなく、孤独な日々を過ごしてました。あれは小学校5、6年の時だったか…世間では光GENJIが大ブーム!数あるヒット曲の中に『太陽がいっぱい』という楽曲がありました。大洋に掛けて私が教室に入る度に『大洋が連敗~(笑)』と馬鹿にされたものです。

始めてみた試合は平塚球場でした。今は公式つかってないですが、、、熱く闘う戦士に毎度感動しております。

97年大矢ベイスターズは7年振りのAクラス2位でシーズンを終えた。その年ベイスターズは来期の期待と共に不安要素を抱えてた。絶対的守護神、大魔神・佐々木主浩のメジャー移籍問題。大方の見解は移籍するだろうなと見ていたけど(私もその一人)97年ハマスタ最終戦。ライトスタンド入場ゲートで一枚の紙が配られてた。そこにはベイスターズ戦士のメッセージが。今でも忘れないが大魔神の欄に書かれていた言葉は『横浜で優勝するまでメジャー行きません』その言葉に涙しました!そして承知の通り翌年見事に日本一に!佐々木さんの男気に惚れました!その節はありがとうございました。令和元年。必勝ベイスターズ!目指せ優勝・日本一!

祖父→母→私→息子と4代にわたるファンです。
1997年9月、逆転優勝のためにはもう一つも負けられないヤクルト戦での雨天中断。22時を過ぎてからの試合再開で打席には鈴木尚典選手。連れとそばにいた数人で始めたタカノリコールがあっという間に1塁~ライト側までの大合唱に広がった。そしてボテボテのゴロに全力疾走で内野安打をもぎ取ったタカノリ。冷え切ってた身体が熱くなったあの夜、今季は無理でも来シーズンこそ絶対優勝すると思った。

思い出とか言うよりファンの皆が好きです!それは、決して他球団に比べたら強くもなく優勝も少ないですがどんなにボロ負けをしていても途中で帰るファンが他球団より少ない事と負け続けでも前向きな姿勢です(明日があるさ!)相手チームの悪口を言わないファン気質が大好きです!
最近は少し様子が変わって来てますが根っからのファンはそんな人達ですだから好きなんだよね。

昨年9月、横浜スタジアムでソトがサヨナラホームラン!すごく感動しました!

ファンが一体で選手を応援する姿が、このチームを大好きにさせました。久しぶりに見に行ったあの試合、忘れられません。

1998年日本一の時の大洋漁業本社のマジック点灯のあかりがいまもよみがえりますね〜〜今一度マジック点灯のあかりが見たいです。(^.^)

パチョレック』さん、『ミヤーン』さんの両選手をいちはやく思い出します。
また、『屋鋪要』さん『加藤博一』さんも好きな選手でした。
(あの今井翼さんは、「『屋敷翼』に芸名をしたかったというくらい屋敷要さんが好きだった」という話をテレビをしていて、妙に共感をしました。)

近所の道端で野球をしては『パチョレック』、『ミヤーン』、『屋鋪~』、『加藤~』と打席に立つときは連呼しながら遊んだものでした。

加藤さんは、現役引退後いつもニコニコしていたし、トークも非常に面白かったので大好きなキャラクターでした。
(加藤さんは、阪神在籍時から好きになりました。)

横浜スタジアムができてから横浜大洋ホエールズ一筋です。

98年10月 甲子園での胴上げの日。
会社をさぼって応援に行ったところ、スタンドでたまたま隣になったのは、大洋漁業の社員さん。
「本社に内緒で作ったんですよ」という特製の応援ウチワをいただき、一緒に声をはりあげました。

東京に戻ってから、大手町の大洋本社に優勝記念グッズを買いに行きましたね。

親父が昔からの横浜ファンで、自分も練習場のある長浦で育ったので、選手の練習してる姿を間近で見たり、横浜スタジアムに親に連れて行ってもらったりして自然と横浜ファンになりました。
当時は周りに大洋ファンは少なかったので、いろんな思いをしたりしました(笑)
ベイスターズになってからもしばらくは成績はふるわず、98年待望の時が…
喜び方がわからなかったのを覚えています
今は結婚して父親になり子供や仲間、家族との観戦スタイルも年がたつにつれ楽しみ方が変わってきて、今では家族3世代で観戦するほど大のファンです。
70年のうち、まだ半分くらいしか自分は記憶ありませんがこれから先、家族や仲間でどんな楽しみ方や感動が味わえるのかとワクワクしてシーズンを楽しみたいと思います。

2006年、横浜スタジアムへ子どもたちと観戦しに行ったら万永さんの引退試合でした。試合が終わったあとで広島ファンの人たちが万永さんのためにみんなで『応援』してくれたことがすごく印象に残っています。とても感動しました。

昔、横浜大洋時代に、練習をハマスタで見てました。何故か試合はないのに球場は開いてました。理由は知りませんが、外野から練習を見てました。懐かしいですね

子供の頃、横浜に住んでいて友の会に入って応援に良く行きましたが、いつもお客さんも少なく、負け試合が多くて泣いて帰ってましたが、いつの間にかファンも増えて、スタジアムに足を運ぶ時、1998以来、違う意味で泣いてます

川崎大洋ホエールズの時からファンです。会社務めをするようになって、98年の優勝で会社のユニホームを茶色とベージュだったのを優勝カラーの青と白に提案して今にいたります。

子供の頃は大洋ホエールズのファンでしたが、久しく野球観戦などしていなかった時、当時の横浜大洋復刻ユニでのベイスターズを見る機会が。
子供の頃の記憶が一気に蘇り再びベイスターズファンとなりました。
残念ながら下関でのオープン戦は流れてしまいましたが、3/21の代替試合は観れましたし、マルハさんグッズも頂きました。
ベビーハムは、やっぱり旨いです‼️

マルハニチロ主催オープン戦行きました⚾🎉 70年記念の素敵なタオルありがとうございました、ソーセージも入っていて感激しました🎉⚾ 山口県出身、山本譲二さんの歌も素晴らしいかったです🎤😄

2017年シーズンに初めて息子(当時4歳)とハマスタで観戦しました。延長の末にベイスターズは敗れてしまいましたが、試合中に息子の目の前にファールボールが飛んできてそれをとったた方が息子に譲ってくれました。その方の優しさに感謝しております。そんな息子はそれ以来、野球に興味を持ち休日にはキャッチボールやバッティングして楽しく過ごしてます

3/21のマルハニチロ Presents
70th ANNIVERSARY GAMEで
「⭕️は」印の前掛け着けて
応援させていただきました!
この先「⭕️は」印グッズを
どんどん作っていただけれると
うれしいでーす⤴️⤴️

ベイスターズの思い出
子供の頃、観に行った試合全然勝てなくて負けた試合しか記憶になくて
98年は、子供ながら何点とられようが絶対負けないって歓喜に満ちてました。
その後の低迷期にももちろん観に行ってたし応援してましたが、中畑清監督でまた応援する喜びを知り今に至ります。
オープン戦中止になりましたが、下関で、もっとベイスターズ戦をやって盛り上げてもらいたいです

昔横浜のおばあちゃんと市バスに乗って年に数回観戦しに行きました。ばあちゃんは私より野球詳しかったな❗笑
ファウルボールが私の座席に直撃したけど、係の方たちは小学生の私は無視でおばあちゃんの心配してたな💦笑
雨天でも観戦に付き合ってくれたおばあちゃん。。。。亡くなっちゃったけど、ハマスタではすべてが楽しい思い出⤴️
そんなおばあちゃんと当時は空いてたハマスタで食べたシウマイチャーハンとちくわ、今は満員の球場で娘と食べてます❗

スーパーカートリオ良いですね❗
昔のファミスタでも速かったことを思い出します。

群馬だけど、親が大洋好きで
神宮開幕田代3打席連続ホームラン
スポーツ紙1面になったの覚えてます!
大家が一球で勝利投手となり
ローズがサイクルヒットになった試合
見た時は感動したし、ローズ2度目のサイクルヒットも見たし
石井琢郎二千本安打も見たし

個人的には
故 秋山登さんと偶然にも
飲み屋さんで遭遇して
一緒に飲んでいただき
サインに私物
一緒に写真撮って貰った事は
よく覚えています!

中学1年の時、父に連れられて初めてハマスタに訪れたのは試合ではなく昭和54年のファン感謝デーでした。
試合としては翌55年、対巨人の開幕戦がお初。横浜スタジアムで迎える初めての開幕でしたね。平松・江川両投手の先発で、現役最終年となる王選手にホームランが出ました。最後は福嶋選手のタイムリーでホエールズがサヨナラ勝ち。球団70年の中でも特に印象的な開幕戦だったかと思います。
その頃は東京の端に住んでいたため横浜は遠く、生観戦は年に数回の貴重な機会でした。それでも98年はさすがに頻繁に足を運び、日本シリーズは執念で全試合観戦、日本一決定の瞬間をその場で目撃できました。
2004年から横浜に移住、今は週末ごとに現場で楽しむことができる環境にいます。
今回、マルハニチロさんが再びベイスターズに関わりを持って下さったことは、私世代のファンには嬉しいニュースでした。今後もファンと共にチームを応援していただければと願っています。

1998年の日本一からずっと応援してるけど、19年ぶりの日本シリーズはやっぱり感動したなー。
思い出はなぜか一番最初に浮かんだハーパーの逆転サヨナラ満塁ホームランで!
今年こそ優勝しましょう!

ベイスターズが好きになったのは、九州在住時代。初観戦は96年の熊本・藤崎台、三浦投手が先発でした。
98年は下関で駒田選手の満塁ホームランを観て、号泣。その後、優勝パレードにも行きました。
好きが高じて、関東への会社都合転籍を承諾。退職した現在も関東に居ます。
昔々、ホエールズは長崎でキャンプをした事があり、その宿泊地は私の出身地のようです。亡父曰く「誰のか分からないがサインを貰った」とのこと。巡り巡ってベイスターズを応援するようになったのは、何かの縁なのかも知れません。

98年、同じクラスになった友達に野球少年が多くて好きになりました!
運良く日本シリーズのチケットが手に入ったのですが、、インフルになってしまい弟と母が行き、お土産になかなか買ってもらえなかったユニホームをもらいました。
一昨年、そのユニホームを着て日本シリーズ観戦に行けたのは夢みたいでした。
こう思い出を思い返して文にしてるだけで、なんだか幸せな気持ちになりますね。
当たっても当たらなくても、すでに何だか嬉しい気持ちです。
こういうイベントをしていただきありがとうございます☆

横浜のユニホームにして大会に出ましたねー❗ベイスターズも格好いいですね(笑)

遠征でマツダスタジアムに広島戦観戦に行って負け、街中真っ赤な完全アウェーな雰囲気の中、ふらっと入った居酒屋の箸置きがブルーのクジラで、「クジラダヨ〜」と夫と二人でニンマリしました。
次の日はしっかり勝ちましたよ!

発祥の地下関で…親父と一緒に旧下関球場や旧萩球場やら観戦に行ってました。小学校時代は、オレンジ&グリーンの鮮やかな帽子で通学してました(笑)
今年の下関での12年ぶりの試合を楽しみにしてたのに…前日快晴、当日☔、月曜日快晴と皮肉な天候になりました(T_T) 
下関からハマスタは遠いしチケットも取れないから 今年もヤフオクドームの交流戦には泊まりで3連戦観戦します
ちなみに 駒田選手の満塁ホームランの一つに下関球場がありますが ライト外野席で生体験しました〜 ☔の中の綺麗な放物線👏👏👏

小学校の時に野球を始めたきっかけがベイスターズでした。

初めて、生で観る選手たちのダイナミックなプレー、かっこよくて華麗なプレー。
特に当時の谷繁選手や石井琢朗選手は、憧れの存在になってました。

大好きなベイスターズのユニホームを着て球場に行きたいので是非、お願いします。

一昨年他界した兄が入院していた病院の帰りに、ハマスタの前を通るたびに、歓声が聞こえていた。一段落したときに、観戦した試合は、まさかの雨天中止となる。それから、ハマスタが癒しのところとなり、毎回のように週末は通う。しかしながら、勝つことは珍しく、ワンサイド負けも多いこと。ファンは、そんなときでも最後まで応援し、家族のようになっていた。そんなチームだけど優勝もした。今では、負けると悔しい、かつスタンドも満員。今の熱烈も良いけど、あのときも忘れられない思い出。そして、いつもマルハのちくわとビールがありました。安くて旨くてね。今年は優勝です。下関からの航海、歴史に残る70年にやるはずです。

2016年、青森から新幹線に乗ってはじめてハマスタ行きました。感動しました!試合勝ったしお土産たくさん買って大満足で帰った思い出があります。

小学校→中学校→高校→大学、いつの時代も大洋、そしてベイスターズを応援してきました。
観戦チケットの番号が何回か当選し、当時のプレゼントで「マルハのパッ缶」をもらったのが懐かしい思い出です。あの頃は当たり易かったなぁ...。

初めてプロ野球を観たのは父親と行った川崎球場 大洋対阪神でした。40年以上前なんですが今でも鮮明に覚えてるのが球場に救急車が入ってきて阪神の選手が運ばれたことです。小学二年生の自分は誰かもわかりませんが後に佐野選手でした。そこから大洋、ベイスターズ一筋で応援してます。そして今年は自分の中のヒーロー 田代さんがベイに戻ってこられて本当に嬉しく思ってます。
PS 阪神の佐野選手がその後、カンバックされた時は阪神ファンではありませんが佐野選手だけは応援してました。

ボイヤーの守備ですね。
まるでボールが勝手にグラブに吸い込まれる様でした。

サードのダイヤモンドグラブ賞は毎年長嶋さんでしたが、止めたのはボイヤーです。
華麗でした❗

思い出は横浜大洋ホエールズ、ベイスターズ時代です。
高校生の時に鯨援隊のトランペット隊に入り、そのまま応援団に。
全国を仲間と駆け巡り、弱かったですがとても楽しい思い出ばかりです。
マルハのハッピを着てトランペットを吹いたの覚えてます。

98年の優勝時に結婚し、現在はテレビを見ながら楽しく応援しています。
たまにスタジアムへ。

今回DNAとコラボしたのをみて感動しました!

もう亡くなった元担任の先生がベイスターズが負けた次の日は機嫌が悪かったです😅

物心ついたころには川崎球場に父親と野球見に行ってました。

球場関係者に血縁者がいたお陰で気付いた頃にはホエールズのファンでした!

ずーっと弱く、勝てないチームでしたが、個性的で面白い選手が多く、いつもワクワクしていたのを覚えています。

勝てない事が多く、いつしか優勝なんて言葉は夢だと思い、生きてる間に大洋の優勝はないんじゃないかと、思っていました。

それが、1998!

甲子園でのラストゲーム!
自室で一人大魔人の勇姿を見ながら、自然と涙が出てきました。

こんな日がくるなんて、本当に夢のような時間でした!

日本シリーズも嬉しかったのですが、あの甲子園が私の本当のベストゲームでした!

これからも、親子共々ずーっと応援しています!m(__)m

98年は勿論だが、その後の暗黒時代にもガラガラのスタジアムに通い詰めてたときは選手にも顔を覚えて貰えた!
オープン戦で西武ドームに行ったときは大西選手に外野席から声をかけたとき、よぉきたな!と言われたときは嬉しかったな!
今のスタジアムはチケットが取りにくいくらいに満員だけど、自分はあの頃のベイスターズが、懐かしいですね!
98年通い詰めたときのグループの仲間が今では応援団にもなってるし!

あれは90年(平成元年)、京都に住んでた自分は、何気に阪神vs大洋戦を甲子園に観戦に行ったのが始まりです。阪神は嫌いだったので、大洋を応援に外野席に…。大洋ファンの少なさに「こりゃファンにならないと!」
その3連戦はすべて勝ち、大喜びをしたのは、今でも忘れません。
私の回りには大洋ファンがほとんど居なく、「なぜ大洋ファン?」と聞かれながら30年!今は横浜ですが、横浜の野球スタイルは観てて楽しいです!
これからも頑張れベイスターズ!

小学生の頃からなんで、長い年月 大洋からベイになるまでのファンです。
当時は、高木さんと屋敷さんが職人って感じでカッコ良かったな。(^o^)v
今は、だいぶ 光を浴びてる気がします。今年は、行ける気がする☆
少し前まで、最下位争いしてたのに、下克上で日本一になりそうだったのは、記憶に新しい事です。
父は、ヤクルトファンので、神宮球場には、何度か連れてかれました。
その父も今は、病院のベッドから動けません。私も自由に横浜へは、行かれませが、魂は、ベイと共にあります。
ハマスタへ行きたいですが、今年も
まだハマスタデビューは、出来そうにありませが、ベイスターズの試合をリアルタイムで、生で、球場で、見れそうです。今年の夏に新しい楽しい思い出をベイナインの皆さん よろしくお願いします。☆大好きなベイスターズ☆

高校生の頃からで大洋時代を含めると三十年以上のファンです。弱い頃から応援しているので98年の優勝決定の試合で甲子園球場の左側半分が真っ青になったのを見た時にはグッときました。あの光景は今でも忘れられないです!今年こそは優勝して素晴らしい一年だったと思いたいです。頑張れ、ベイスターズ!!

野球物心がついた、昭和50年頃からの大洋ファン☆
湘南カラーのユニフォームが好きだったけど、弱かったなぁ~(^^;)

その後、横浜に転居して迎えた平成10年の優勝パレード☆
小さかった息子を連れて行った、最高の思い出です(*^^*)

スーパーカートリオ、マシンガン打線が思い出に残っています。
大洋ホエールズは義父の大のお気に入り球団でした。

今年の4月23日、伊藤光捕手のお誕生日に初めてハマスタへ行きます。
伊藤光捕手ファン暦7年目、ベイスターズとの思い出はあまりありませんがこれから素敵な思い出を作っていきたいです。

草薙球場でキャンプをしていた時に、父に連れていってもらったのが最初の出会いでした。
幼少期だったからか、刷り込みのように野球イコール大洋になりました。
野球をする時は大洋のWマークの付いたヘルメットをかぶり、当時全盛期だったスーパーカートリオのフォームを真似し、ファミスタでは迷うことなく大洋でした。
いくつになっても大洋熱は冷めることなく、上京してからは足繁くハマスタに通い、大洋からベイスターズに変わった時はちょっと寂しい気持ちもありましたが98年の優勝は大号泣でした。
今は昔以上の情熱でハマスタ行ってるような気がします。

横浜大洋ホエールズ懐かしいですね。行くぞ、行くぞ大洋

一番印象に残ったのが、7年前の新潟でのジャイアンツ戦。横浜からわざわざ新潟まで観に行きました。
延長に入り、引き分け濃厚かと思った瞬間の、中村紀洋のサヨナラホームランに感動しました。
長年ベイスターズを応援していますが、現地でベイスターズのサヨナラホームラン観たのがこれがはじめて。野球の醍醐味を味わうことができました。
粘るベイスターズ、これからも応援します。

1998年の夏にベイスターズの試合を観てファンになり、自身も少年野球に入団を決意し、それから13年間社会人まで野球を続けました。
昔みた優勝パレードを、もう一度見たい!

スーパーカートリオ✌️カミソリシュート平松✌️頭脳ピッチング斉藤✌️大魔神佐々木✌️ガキの頃からファンです‼️

横浜スタジアムを建設するにあたり、うちの父親が既存施設の解体をやりました。
フェンスで囲まれた中に入れてもらって遊んだのを思い出します。
今ではダメでしょうけどね(笑)
初めて生で野球観戦をしたのも勿論、横浜スタジアムでした。
とてもワクワクしました(相手はジャイアンツ)
そんな横浜スタジアムで父親が亡くなる直前に試合観戦をさせてあげられたのは、少しでも親孝行になったかな?と思います。

生まれも育ちも横浜。初めての観戦は優勝した98年。まだ幼稚園だったけどしっかりと脳裏に焼き付いています。あれから21年。良い時もダメな時もずっと横浜一筋。
一昨年の日本シリーズはハマスタで観戦して身震いしました。またあの瞬間をもう一度味わいたい!
これからもずっと生涯横浜一筋!!

三浦番長の引退試合、、、電車の中で絶対ライブでみなくちゃいけないからと溢れてくる涙をぬぐいながらスマホを握っていました…

三浦さんの引退試合とセレモニーです。もっと見たかったけど後悔でした。コーチでもご活躍見れるからいいけど☺️

父が強い巨人をやっつける大洋ホエールズが格好いい!という理由でファンでした。
横浜に本拠地を移転して当時は中継は巨人戦くらい。そんな中幸運にも神奈川に住んでいたこともあり、テレビ神奈川で毎日の様に応援していました。

普段弱いのにいきなりの大勝!
遠藤の完封!

とっつぁんの引退試合での二塁打は子供ながらに泣きました(笑)

田代の引退試合の満塁アーチ。

思えば横浜スタジアムではキラキラした沢山の思い出をいただきました。

今は福岡に住んでいますが変わらずファンであります。これからもずっと横浜を応援しつづけます!

牛込さんの連れて来る外国人選手が好きやったなぁ!(^^)

結婚して埼玉にお嫁に来た私は知り合いもいなく友達もいなく毎日旦那ちゃんの帰りを玄関先で待ってる日々。そんな私を見かねて旦那ちゃんが野球に全く興味のない私をハマスタに連れて行ってくれたのは1997年。何もわからない私に知らないベイファンの皆さんは暖かく迎えてくれて、応援歌の書いたコピーも貰って帰る頃にはすっかり仲良しになって以来今日までベイファンです♪あの時の美味しいビールと楽しいファンの皆さんがいないと引きこもりになってたかもです。

子供の時は父と、社会人の時は友人と、今は家族で野球観戦しにハマスタに行ってます。
我が家の子供達も同じ道を辿って行くんだろうなー🤗
マルハニチロさんのキャンペーン嬉しいです💕

大洋時代からずっと福岡で応援しています。横浜は遠すぎて行けないので、チームが下関に来たときは駆けつけるようにしていました。見れなかった横浜での優勝パレードを下関で見れたのは最高の思い出です。そうそう、下関で知り合った応援団のかたが私の披露宴に駆けつけてくれて、トランペットでウィニングを披露してくれたのも素敵な思い出です。

ホエールズ時代から応援し始めてはや36年になります
昔、山口県にオープン戦や公式戦があった時は毎回見に行ってました
今は山口県ではなかなか公式戦やオープン戦がないので広島か福岡に行って観戦してます
これからもベイスターズをずっと応援し続けます
まだ下関駅西口前にマルハ下関支社があった時はホエールズ、ベイスターズグッズを買いに行ってました

川崎の終盤からのファンです。
緑とオレンジ色の東海道線カラー?湘南電車カラー?のユニフォームに目が奪われました。
以来、ホエールズ・ベイスターズ一筋です。
⭕にはの字の社章?も子供には分かり易く馴染みました。

マルハと言えば、シーエース
・パッ缶
TVのCM、懐かしいです。

97年8月の対ヤクルト三連戦。大矢監督率いるベイスターズと野村ヤクルト対戦。当時首位争いの天王山でヤクルト先発の石井一久投手にやられた事。
あの三連戦が翌年の優勝、日本一になった。

かなり昔になりますが、札幌円山球場で、対巨人戦を見に行き、その当時は北海道道民ほとんどが巨人ファンだと思います(今みたいにフランチャイズ球場はないし、テレビの野球中継も巨人戦のみだったので当然かも)。その中で、山下大輔さんの華麗な守備に魅了されそれ以来の横浜大洋ファンです。
高校を卒業し就職したのが横須賀、長浦の室内練習場の外壁にはクジラのマーク、懐かしいです。
浜スタには年20試合強観戦に行きました。
入場時に渡された抽選券でマルハ詰め合わせが当たる抽選会毎試合やってたと思います。なかなか当たらなかったけど。
今はチケットが取るのが一番難しい浜スタですが、外野自由席はベンチシート、内野も自由席で入っても座るところがいっぱい。
応援に行くたびに負け試合が多く、関内周辺でやけ酒を飲んで横須賀に帰るのが日課でした。
今は定年で北海道に戻りましたが、どのテレビを見てもファイターズの情報ばかり、つまらないです。
早々にBSと契約ベイスターズを北海道の大地から応援しています。

「カミソリシュート」平松投手。あのミスターが1割バッターですから。

懐かしい感じがします。
自分は1978年(昭和57年)
入団テストを受けたのを
思い出しました。
屋敷さんと走ったのを思いだして
早かったなぁ~
結果は不合格でしたが4次審査まで合格したのを覚えおります。
今でもベイスターズのファンです。懐かしい~

横浜大洋ホエールズ「スーパーカートリオ」の頃からのファンです。

大量得点を取った翌日は必ず負けるチーム。
テレビで良い試合をしてるのを見て、「今からハマスタに行くか❗」ってノリでも、すぐにチケットが買えて、ゆったりスタンドに座れた(笑)

散々「横浜ファン」って言ってたらバカにされ笑われてたのに、98年の優勝時にはウジャウジャ「横浜ファン」が現れて、実はこんなにいたのかってビックリしました(笑)

マルハからTBSに、そしてDeNAに…
一時は新潟移転も噂され、必死に「阻止しよう❗」っていきりだったことも(笑)
今や「横浜市歌」まで応援歌に使われるほど、しっかり横浜に根付き、その心配もなくなり安心してます(笑)

70年、栄えある歴史。

これからもたくさん応援していきます❗
共に戦おう‼️

I☆YOKOHAMA

今でもマルハのホエールズだったらどうなっていたんだろう?と思う時がたまにあるな。
でも、弱かったけどDeNAの今よりは断然楽しかったよ。

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